2022.10.27 [イベントレポート]
「人生における最も真実の瞬間は計画なしに突然に訪れて、次に何が起こるかわからないと私は思います」10/26(水) Q&A:アジアの未来『突然に』

『突然に』Q&A

©2022 TIFF リサ・オネル監督(左)、フェリデ・チチェキオウルさん(脚本)(中央)、メルイェム・ヤヴズ撮影監督(右)

 
10/26(水) アジアの未来『突然に』上映後、リサ・オネル(監督/プロデューサー/脚本)、フェリデ・チチェキオウル(脚本)、メルイェム・ヤヴズ (撮影監督)をお迎えし、Q&Aが行われました。
⇒作品詳細
 
司会:石坂健治シニア・プログラマー(以下、石坂SP):ご挨拶をお願いいたします。
 
メリサ・オネル監督(以下、監督):このたびは東京国際映画祭にお招きくださり、ありがとうございます。こうして来られたことに、チーム全員が大変興奮しております。トルコから遠く離れたこの地で、私どもの映画を皆さまがどのように受け取られているのかを見ることができて、大変嬉しく思います。そして、どのような形で人々の心に届けることができるかを考えております。
 
フェリデ・チチェキオウルさん(以下、チチェキオウル):日本にいながら、自分たちのホームから遠く離れているという感じがしません。私たちは、映画を作る上でお互いに様々な議論をして、互いを否定することもあれば、互いを認め合うこともありました。このたび東京にやってきて、静かな形でここの地の方々と繋がっているという感じがします。イスタンブールは大変賑やかで騒がしい街です。しかし、私はここ東京にいて、何か静けさのようなものを感じて、安心しております。
 
フェリデ・チチェキオウルさん(以下、チチェキオウル):日本にいながら、自分たちのホームから遠く離れているという感じがしません。私たちは、映画を作る上でお互いに様々な議論をして、互いを否定することもあれば、互いを認め合うこともありました。このたび東京にやってきて、静かな形でここの地の方々と繋がっているという感じがします。イスタンブールは大変賑やかで騒がしい街です。しかし、私はここ東京にいて、何か静けさのようなものを感じて、安心しております。
 
石坂SP:この映画のチームのスタッフはほとんどが女性だそうです。監督に質問ですが、この作品のタイトルはどのような思いを込めてつけられたのでしょうか?
 
監督:自分の人生を変えようと決心する瞬間、それがこの作品で主人公に起こります。それは決して熟考の結果でもなければ、計画を立てていたわけでもなく、本当に突然に、主人公は決心するのです。往々にして、人生における最も真実の瞬間は、このように計画なしに突然に訪れて、次に何が起こるかわからないような感じだと私は思います。それは、とても勇気が必要なことです。この主人公は、突然、ちゃんと生きよう、本当に生きようと決心します。ある朝、このタイトルはどうかとみんなで話し合いました。これは軽いものでしたが、タイトルから重さというものを排除したかったので、このタイトルはとても軽くていい感じではないかということで決まりました。
 
Q:音響にこだわっている作品ではないかと思いました。こだわられたところがあればお聞かせください。
 
監督:この映画において、音というものはとても大切だと考えて作りましたので、今のようなコメントをいただいて大変嬉しく思います。この映画は、主人公がイスタンブールを彷徨しながら、自分自身を探していく映画でもあり、私たちがイスタンブールを懐かしく思うように描きたいと思った映画でもあります。そして、音を通して、私たちはイスタンブールを知っていきます。イスタンブールに命を吹き込むにはビジュアルだけではなく音が大切ではないかと思いました。イスタンブールを皆さまに感じていただくためにロケはトルコとドイツと両方の国で録音しました。環境音はその地に根差しているものが多いですから、両方の国で録音する必要がありました。そうした過程を通して、イスタンブールが命をもったということを願っております。
 
Q:監督に質問なのですが、主人公が事故に遭って、ドイツとトルコに分かれて家族が暮らすわけですが、ドイツとトルコの関係が深いことを前提にして、ドイツという場所がこの作品にどういった効果を持っているのか、どういった思いを込めて作られたのかお聞きしたいです。
 
監督:主人公のレイハンは自分の記憶というものを嗅覚と繋げて呼び戻そうとしています。ドイツから戻って来てもう一度イスタンブールと繋がろうとします。しかしながら彼女は嗅覚を失ってしまっているため、自分の故郷を喪失したとも言えます。また、自分自身の体をも喪失してしまったと言うこと、自分の二番目の故郷である自分の体を失ってしまいました。つまりレイハンにとってドイツが象徴するものは、そこに行くことで自分を失ってしまった他の場所へ行くということです。事故に遭いみんなでドイツに行きますが、母親はレイハンを父親と二人でドイツに置いたままトルコに帰ってしまいます。ドイツという場所が不在の場所という意味をもっているのです。そして彼女はトルコに戻り自分の人生を取り戻そうとしますが、もう人生の大半が流れて去っているという状況です。
 
チチェキオウル:共同脚本を書く上で、特別映画の中では出てきませんが、この映像を作る際にみんなで話し合ったことがあります。それはドイツのような、トルコよりずっと寒冷地にある場所においては、色々なものが蒸発するのも少ないですし、色々なものの匂いもあまり出ない、そのためにイスタンブールから離れたレイハンは嗅覚を失ってしまう。そしてまた嗅覚を、自分の人生を取り戻したくてイスタンブールに戻り、また街と繋がろうとしますが、なかなか一筋縄ではいかない。一度故郷を去る者というのは、いつでもそこに帰れる、帰ってみれば故郷が待っていてくれると思いがちですが、必ずしもそうではないのです。
 
Q:物語の発想と、どれくらいの期間で書かれたシナリオなのでしょうか?
 
チチェキオウル:実は、この作品でオネル監督と三回目の共同の仕事です。言い古された言葉かも知れませんが、オネル監督と仕事をする度に私は共に旅をしているという感覚、色々ものを探っているという感じがしています。そして一歩ずつ共にストーリーを作っていくわけです。このストーリーを思いついたのはコロナ禍の前です。ですから嗅覚を失う人が今は結構いますけれども、そんな話が全然無い頃に思いつきました。そしてプロデューサーのイェレナ・アンゲロフスキーさんに紹介された時、自己紹介が終わるか終わらないかのうちに私も嗅覚を失ったのよ、と言われたので理由を聞くと急に起こったという話をしてくれました。このような出来事があったということと、当時オネル監督と私が映画の話をしていたころ、私がたまたま足を怪我していてどこにも行けないような状況だったことからもこの筋書きを思いつきました。私たちはいろいろな意見を出し合って共に航海をしていくような形でこの作品を作りました。最終的にこのような形の映画になったのですが、とにかくオネル監督は映画を感じる人で、私は言葉の人間です。ご覧の通り私はおしゃべりですが、オネル監督は口数が少ないです。これで違いがわかっていただけるかと思います。

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