2022.10.29 [イベントレポート]
吉岡秀隆「『八月の狂詩曲』がなかったら役者をやっていなかった」 黒澤明監督との思い出語る
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黒澤明監督との思い出を語った吉岡秀隆

第35回東京国際映画祭「黒澤明の愛した映画」部門で、『晩春』4Kデジタル修復版が10月29日、角川シネマ有楽町で上映され、俳優の吉岡秀隆がトークを行った。

小津安二郎監督の代表作『晩春』は鎌倉に暮らす大学教授と、結婚を控えたその娘を主人公として家族の感情の機微を描き、その後の小津の作風を決定づけた作品。この日会場で鑑賞した吉岡は「笠智衆さんの、御前様なのか、お父さんなのか、お芝居なのか……何かを超越しているのが人間的魅力であり色っぽい。そして原節子さんが美しく、素晴らしかった」と感想を述べる。

吉岡は黒澤明監督とは『八月の狂詩曲(ラプソディー)』のオーディションが初対面だったそうで、「「北の国から'89 帰郷」『男はつらいよ ぼくの伯父さん』をやって、一度お芝居を離れたくて大学に行きました。事務所もやめたんです。その時、野上(照代)さんからオーディションの誘いがあって、受からなくてもいいから黒澤さんを一目見たいと思って受けに行きました」と明かす。

黒澤監督の第一印象は「大きい白い岩のようだなと思いました」。同世代の俳優たちが、スーツ姿で面接に臨む中、吉岡はTシャツにジーンズ、「おなかが空いていて食べた、カレーうどんの汁がついている状態で(笑)」参加した。「黒澤さんに笑われました。隣にいた斉藤(孝雄)カメラマンとは『優駿 ORACION』で一緒にやっていたので、話をしていたら、黒澤先生から台本を渡されて。そこで一緒にやるのかな?と(確信した)。そうしたら野上さんに「一緒に頑張りましょうね」と言われました」とオーディションでのエピソードを披露した。

山田洋次監督作の常連として知られる吉岡、黒澤監督の現場との違いを問われ「黒澤組は毎日リハーサルをやるので、現場では1回OKとか。山田組はリハーサルがなくてその場で作っていく。セリフがうまく言えなかったら、山田監督がセリフを変えたりも」と振り返る。役者に厳しいと言われる黒澤監督だが、「とっても役者さんを大事にしてくれました。山田組では楽屋も前田吟さん、タコ社長(太宰久雄さん)と一緒の四畳半(笑)。黒澤組はキャンピングカーが僕一人で使えて、好きな飲み物も用意されて。山田組では、僕のいることを忘れてみんなが帰っちゃうことも1度や2度ではなかったので(笑)」と述懐。

俳優の演出やスタッフに厳しいと言われる黒澤監督、吉岡自身が怒られるようなことはなかったそうだが、肝を冷やした事件があった。「僕は山田組、松竹育ちだったので、演技のために動かした椅子などは自分で元の場所に戻すということをしていたら、黒澤先生監督が助監督を呼び出して、「吉岡が片づけてるぞ、これは君たちの仕事だ!」と烈火のごとく怒りだしたんです。僕は間に挟まれてしまい、助監督の方々にすみませんでした、と謝りました。その時は怖かったですね」と振り返る。

そのほか、『八月の狂詩曲』撮影初日に山田監督が吉岡の演技を見に来たそうで、「黒澤先生と山田監督が僕のお芝居を見るんです。その時に僕、一度死んでいるかもしれませんね(笑)。その時の写真がありますが、僕は能面のように顔が真っ白でした」。また、リチャード・ギアがいないときに、吉岡のために黒澤監督が代わりに演じ「黒澤先生の方がお上手でした」と数々の思い出を挙げる。

「『八月の狂詩曲』がなかったら、今役者をやっていないと思います。それまでは自分のお芝居のことだけで精いっぱいだったのに、黒澤先生が(現場に)いなさいと、スタッフの準備や、先生の描いた絵から実際にとどういう映像にするかなど見せていただいて……作品作りに参加してるんだ、ということを教えてくださった気がして、19歳でしたけれど、とてもうれしい出来事でした」と感慨深げに語った。
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