10/27(木) アジアの未来『アルトマン・メソッド』上映後、ナダヴ・アロノヴィッツ監督(写真・左、監督/脚本/プロデューサー/編集)、マーヤン・ウェインストックさん(写真・中央、俳優)、ニル・バラクさん(写真・右、俳優)をお迎えし、Q&Aが行われました。
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ナダヴ・アロノヴィッツ監督(以下、監督):この東京国際映画祭にご招待くださいまして心からお礼を申し上げたいと思います。本当に遠くからやって来ました。現在、映画が死に絶えつつあるというような話も多い中、このような映画祭というものは、私たちに希望を与えてくれます。
マーヤン・ウェインストックさん:皆さまこんばんは。こうしてご招待いただきまして、今、本当にワクワクしております。どんな気持ちでいるかをぜひ皆さんに知っていただきたいんですけれども、それを表す言葉が見つかりません。こうして東京国際映画祭の一部である、私たちが一部を成していることは、私にとって本当に大きな意味を持っています。そして、イスラエル市民の一人として、一人の個人としての私が体験した様々なことがこの映画に盛り込まれているんですけども、それを例えば日本といった全く違う文化を持つ方々がご覧になって、どうそれに反応されるかを見せていただくというのは、私にとって本当に知的興奮を感じさせる体験です。ありがとうございます。
ニル・バラクさん:東京に来るということは私の長年の夢でした。映画を作れば来られると分かっていたら、もっと早くそうすればよかったです。本当にここでの滞在を楽しんでいます。人々もこの映画祭も、そして食べ物も本当に言葉にできないほど素晴らしいものですね。ありがとうございます。
Q:今回、Neutralization―無力化という言葉がすごく最後まで自分の中に突っかかるものがあって、実際その言葉の持つ意味だったり、それをイスラエルの人々はどう捉えて使っているのか、お伺いしたいです。
監督:ご質問ありがとうございます。この無力化という言葉を使うことにした理由は、実際にイスラエルのメディアが本当にひどいことが起こった時に、無力化という言葉であたかもそれは大したことではないかのような印象を与えて、自分たちの立場も、そして視聴者の気持ちも守るということがあるので、これを使ってみるのが面白いのではないのかと思ったのです。そして、この映画の中では主人公の男が自分が行ったことを無力化というメディアがよく使う言葉を使って表現しています。その中で、その言葉がより力を持ったと思います。
Q:マーヤさん演じる主人公の女性の方の行動について、曖昧にされていたと思うんですけれども、監督や主演の方々はどういう風に、自分の中では答えがあるのかなっていうのをお聞きしたくて、それぞれお答えいただけるとありがたいです。
監督:私自身の考えはですね、答えを出すよりも、質問を常に心に抱えていて、そして質問のことを考え続けるということが大事であって、その答えが分からないうえでのジレンマの中で何かを求め続けるということが大切だと考えています。そして、映画を綺麗な形で着地させる、はっきりと答えで着地させるのではなく、ずっと作っている間中、今お聞きくださったご質問と同じ質問を私自身も心に持っていました。その点でとても素晴らしいご質問をありがとうございます。
マーヤン・ウェインストックさん:ご質問ありがとうございます。今監督が答えた内容と私が考えていたことは全く違います。と申しますのも、主人公は夫によって追い詰められますよね。けれど彼女は常に夫を守りたいと考える良い妻なわけです。ですから、夫を裏切るということは決してできない妻なんです。そういった主人公が唯一持っている武器というのは、彼女は女優であり、演技ができるということです。そしてその演技能力を使って夫を脅かしているんですね。怖がらせているわけです。どうして彼女がこんなに苦しんでいるかといいますと、もう鎖につながれているようなものであるということですね。夫を裏切ることはできない。
夫が犯罪者であるということよりも、これは奇妙に聞こえるかもしれませんが、自分に対して夫が噓をついたということに彼女は裏切られた感じがしているんですね。つまり二人の間にあった取り決めというようなものが取り外されて世界がひっくり返ってしまったわけです。彼女にとって、そこが彼女にとっての悩みでありますが、行動を起こせるような肝は彼女にはないと思います。
司会・石坂健治シニア・プログラマー:面白いですね。では、ニル・バラクさんいかがでしょうか?
ニル・バラクさん:彼の妻は、決して行動に起こすことはありません。ないと思います。
このウリという主人公の夫は、まるでカメレオンのように色を変えますよね。たいへん暴力的にもなりうるし、とても相手のことを大切にする面も持った男です。もしも自分の妻が行動を起こすと思ったら、決して妻をああいうふうに外に行かせたりしなかったと思います。なぜなら、この毒のある男らしさとでもいいますか、毒のある男性性(せい)というのは、そういったものであるからです。つまり何か問題が起きる可能性があるようなことは決してそのままにしておかない。だから、妻を行かせることはなかったと思います。残念ながら世界は段々そういった状況になってきていますね。
司会・石坂健治シニア・プログラマー:ありがとうございます。
1つのシーンで監督と演者の方々、それぞれの解釈が全く同じじゃないけれど、ああいうシーンが成立しているというのは非常に興味深いと思いました。
Q:異なる文化とか異なる国の置かれた様々な状況について知ることができるということを国際映画祭の重要な体験として意識しているんですけれども、本作で重要な要素として容疑者とされる女性とかその夫がパレスチナ人であるという設定についてお聞かせいただけると嬉しいです。
ニル・バラクさん:イスラエルとパレスチナの関係をここで申し上げるのにはとても時間が足りませんけれども、一言で申しますと、この二者間の間には本当に複雑な長い歴史があるということですね。それで、パレスチナ人が住んでいる土地をイスラエルが占拠している、というのはご存じだと思います。そのため、両者間の間に常に緊張関係があります。そして、たとえばパレスチナ人が何かイスラエル人に事を起こすと、彼らのことは、テロリストというようにイスラエル側は呼びますね。で、それが二者間の芯に、真ん中にある問題なんです。また、この二つのパレスチナとイスラエルというのは、一つは自由な人々、またもう一つの民族は全く自由がない民族であるという、これが事をより複雑にしています。
マーヤン・ウェインストックさん:ありがとうございます。今おっしゃてくださったことに私は本当に感謝しています。それを表す言葉を持たないくらいです。つまり、異なる文化の方がこの映画をご覧になって、今のように反応してくださったということは、私にはとっても大きな意味があるんです。もちろん、イスラエルの政治状況、またイスラエルにおける暮らしについてあまりご存じないのは当然だと思います。しかし、それでも今のような映画を観て感想を持ってくださったということに私は心から感謝をしたいと思います。それで、ご質問にお答えする形で申し上げたいことがあります。それは、「テロリスト」という言葉は、先ほど監督がお話ししていました、無力化という、これがきれい事の言葉として使われるのと同じに、いつでもイスラエル人に対して、アラブ人やパレスチナ人が何か事を起こすごとに、彼らはメディアによってテロリストと呼ばれます。監督がこのような言葉をたくさん映画で用いたのは、イスラエルのそういった現状を示すためと、それを批判するためです。それは私たちの気持ちも同じです。もちろん私たち人間はみな自由に生きる権利を持っています。ですから、例えばパレスチナ人のように自由が奪われている状況にある人が自由を求めて何らかの活動をするというのは当然の権利だと、私は考えています。そういったことから、状況は大変複雑になっているのですけれども、先ほど監督がお話ししたとおり、きれい事の言葉を使いがちであるということ、これはぜひ知っていただきたいと思います。私はここにおきまして、自分の国を代表して、ある意味、来ています。しかしながら、こうして自分の国を批判もしているわけです、同時に。その2つの中で、今とても気持ちが揺れ動いています。切り裂かれている感じがします。でも、これこそが自由ということでしょう。
司会・石坂健治シニア・プログラマー:ニルさんに、別の質問をしたいと思います。セリフで、「空手の達人なんだけれども、柔術は良いけど、合気道はちょっとね」、みたいのがありましたよね。で、あれは相当日本文化に詳しい。つまり、私の解釈だと、合気道は勝ち負け付けずに、相手の力を吸収するような武道という意味からすると、ニルさん演じるウリのマッチョイズムとは相反するから、ああいうセリフが出たのかな、と思ったんですが、どうでしょうか。
ニル・バラクさん:まず、合気道が大好きなことをお伝えしますね(笑)。
おっしゃる通りです。まさにその通りなんです。ウリというこの人物は、自分の強いエゴ、自我ですね、これが彼にとって一番の価値があるもので、彼にとっては、日々が毎日がサバイバルなんですね。毎日が戦いなんです。それで、彼にとっては自我がすべて。そして合気道というのは芸術ですけれども、芸術はノアの専門分野ですよね。ウリはただただ戦うのみです。
監督:合気道というのは実は私が一番好きな武道です。それでウリという人物に言わせるととても面白いセリフになるのではないかなと思い、加えました。