ディレクターズ・カンパニー時代の思い出を語った黒沢清監督
黒沢清監督が、1992年に手がけたバイオレンスホラー『
地獄の警備員』デジタルリマスター版が10月28日、第35回東京国際映画祭の日本映画クラシックス部門で上映され、黒沢監督がトークショーに出席した。
本上映は、東京国際映画祭と国立映画アーカイブの共催企画「長谷川和彦とディレクターズ・カンパニー」の一プログラムで、1982年に映画の企画・製作会社であるディレクターズ・カンパニーの設立を呼びかけた長谷川和彦の監督作品2作品(2プログラム)と、同社の設立後に製作された7作品(7プログラム)を紹介。本特集を通じて、同社が残した個性的な作品群の再発見を促すことを目的としている。
『地獄の警備員』は、黒沢監督が在籍したディレクターズ・カンパニー最後の作品で、今回ネガからデジタル化された。バブル景気で急成長を遂げた総合商社に、絵画取引担当の秋子と警備員の富士丸という2人の新人が入社した。元力士の富士丸は兄弟子とその愛人を殺害したが、精神鑑定の結果無罪となった要注意人物だ。秋子が慣れない仕事に追われる一方で、警備室では目を覆うほどの惨劇が繰り広げられる……という物語。今作で映画デビューした松重豊が謎めいた凶暴な警備員を演じ、大杉漣、長谷川初範、内藤剛志らが共演。
黒沢監督は「1990年前後、ジャパニーズホラーという言葉もありませんでしたし、アメリカではシリアルキラーものはありましたが、日本では全くなかったので、こういうものなら予算をかけずにできるのでは、と意気込んで作りました。会社から依頼されたのではなく、こういうことがやりたいという意欲を持って臨んだので、あちこち未熟なところはありますが、熱意は伝わるのではないでしょうか。その後、『リング』などが出てきて、Jホラーのブームが来ますが、その前にこういった作品もあったのだと楽しんでいただければ」と本作製作の背景を紹介した。
長谷川監督の助監督としてキャリアをスタートさせ、その後ディレクターズ・カンパニーの一員となった。長谷川監督との思い出として、沢田研二主演作『
太陽を盗んだ男』の現場でのエピソードを挙げる。「『太陽を盗んだ男』のチーフ助監督が相米(慎二)さん。その時僕は助監督ではなく一番下っ端で手伝っていました」と制作部での仕事を振り返り、「偽札をばらまくシーンで、下からビルを見上げるカットを撮りたいということで、(偽札を作成、撮影することは)やってはいけないのにやりました。その後、代表者だった僕が警察に逮捕されて。当時大学生だったので、だれの指示かと聞かれても、「僕です」と言い張って(笑)。その後、制作部に偉い人が僕を連れ戻しに来ました」とゲリラ撮影での逸話を明かした。
その後もディレクターズ・カンパニーの経営危機や『地獄の警備員』製作から公開までの紆余曲折に触れながらも、「どうしてこういう映画が日本にないのだ、という強い気持ちで、自主映画のノリでアメリカのB級ホラー映画を目指した」と初心を改めて述懐。そして「こうやって、リマスター化して昔の映画が復活するのは気恥ずかしいけれどうれしい。細部を突き付けられると冷や汗も出ますが、映画が残っているのがなにより」としみじみ振り返っていた。
第35回東京国際映画祭は11月2日まで、日比谷・有楽町・丸の内・銀座地区で開催。「長谷川和彦とディレクターズ・カンパニー」のプログラムは国立映画アーカイブでも上映される。
ディレクターズ・カンパニー時代の思い出を語った黒沢清監督
黒沢清監督が、1992年に手がけたバイオレンスホラー『
地獄の警備員』デジタルリマスター版が10月28日、第35回東京国際映画祭の日本映画クラシックス部門で上映され、黒沢監督がトークショーに出席した。
本上映は、東京国際映画祭と国立映画アーカイブの共催企画「長谷川和彦とディレクターズ・カンパニー」の一プログラムで、1982年に映画の企画・製作会社であるディレクターズ・カンパニーの設立を呼びかけた長谷川和彦の監督作品2作品(2プログラム)と、同社の設立後に製作された7作品(7プログラム)を紹介。本特集を通じて、同社が残した個性的な作品群の再発見を促すことを目的としている。
『地獄の警備員』は、黒沢監督が在籍したディレクターズ・カンパニー最後の作品で、今回ネガからデジタル化された。バブル景気で急成長を遂げた総合商社に、絵画取引担当の秋子と警備員の富士丸という2人の新人が入社した。元力士の富士丸は兄弟子とその愛人を殺害したが、精神鑑定の結果無罪となった要注意人物だ。秋子が慣れない仕事に追われる一方で、警備室では目を覆うほどの惨劇が繰り広げられる……という物語。今作で映画デビューした松重豊が謎めいた凶暴な警備員を演じ、大杉漣、長谷川初範、内藤剛志らが共演。
黒沢監督は「1990年前後、ジャパニーズホラーという言葉もありませんでしたし、アメリカではシリアルキラーものはありましたが、日本では全くなかったので、こういうものなら予算をかけずにできるのでは、と意気込んで作りました。会社から依頼されたのではなく、こういうことがやりたいという意欲を持って臨んだので、あちこち未熟なところはありますが、熱意は伝わるのではないでしょうか。その後、『リング』などが出てきて、Jホラーのブームが来ますが、その前にこういった作品もあったのだと楽しんでいただければ」と本作製作の背景を紹介した。
長谷川監督の助監督としてキャリアをスタートさせ、その後ディレクターズ・カンパニーの一員となった。長谷川監督との思い出として、沢田研二主演作『
太陽を盗んだ男』の現場でのエピソードを挙げる。「『太陽を盗んだ男』のチーフ助監督が相米(慎二)さん。その時僕は助監督ではなく一番下っ端で手伝っていました」と制作部での仕事を振り返り、「偽札をばらまくシーンで、下からビルを見上げるカットを撮りたいということで、(偽札を作成、撮影することは)やってはいけないのにやりました。その後、代表者だった僕が警察に逮捕されて。当時大学生だったので、だれの指示かと聞かれても、「僕です」と言い張って(笑)。その後、制作部に偉い人が僕を連れ戻しに来ました」とゲリラ撮影での逸話を明かした。
その後もディレクターズ・カンパニーの経営危機や『地獄の警備員』製作から公開までの紆余曲折に触れながらも、「どうしてこういう映画が日本にないのだ、という強い気持ちで、自主映画のノリでアメリカのB級ホラー映画を目指した」と初心を改めて述懐。そして「こうやって、リマスター化して昔の映画が復活するのは気恥ずかしいけれどうれしい。細部を突き付けられると冷や汗も出ますが、映画が残っているのがなにより」としみじみ振り返っていた。
第35回東京国際映画祭は11月2日まで、日比谷・有楽町・丸の内・銀座地区で開催。「長谷川和彦とディレクターズ・カンパニー」のプログラムは国立映画アーカイブでも上映される。